大判例

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名古屋高等裁判所 昭和56年(ネ)596号 判決

控訴人 附帯被控訴人(被告) 杤木合同輸送株式会社

補助参加人 名古屋港湾労働組合

被控訴人 附帯控訴人(原告) 杉浦二三男 外五名

主文

一  控訴人の控訴及び被控訴人らの附帯控訴のうち原判決中被控訴人らの敗訴部分に対する部分は、いずれもこれを棄却する。

二  被控訴人らの当審における請求の拡張に基づき、原判決の主文第三項以下を次のとおり変更する。

三  控訴人は各被控訴人に対し、左の各金員の支払をせよ。

1  別紙債権目録(一)記載の各金員及びうち別紙債権目録(一の1)ないし(一の9)記載の金員に対する各支払期日欄記載の日の翌日から支払済みまで年六分の割合による金員。

2  別紙債権目録(二)記載の各金員及びうち別紙債権目録(二の1)ないし(二の18)記載の金員に対する各支払期日欄記載の日の翌日から支払済みまで年六分の割合による金員。

3  別紙債権目録(三)記載の各金員及びこれに対する各昭和六二年四月一日から支払済みまで年六分の割合による金員。

4  昭和六二年四月一日以降本判決確定の日まで毎月二七日限り、別紙債権目録(四)記載の各金員及びこれに対する各支払期日の翌日から支払済みまで年六分の割合による金員。

四  被控訴人らの本訴請求のうち、控訴人に対し本判決確定の日の翌日からの賃金の支払を求める部分は、これを却下する。

五  被控訴人らのその余の請求を棄却する。

六  訴訟費用は第一、二審とも(第二審は控訴及び附帯控訴とも)、そのうち補助参加によつて生じた分は補助参加人の負担とし、その余は控訴人の負担とする。

七  この判決は、第三項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者双方の申立

一  控訴人

(控訴について)

1 原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。

2 被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

(附帯控訴について)

1 本件附帯控訴を棄却する。

2 被控訴人らが当審において拡張した部分の請求をいずれも棄却する。

3 附帯控訴費用は被控訴人らの負担とする。

二  被控訴人ら

(控訴について)

1 本件控訴を棄却する。

2 控訴費用は控訴人の負担とする。

(附帯控訴について)

1 原判決中被控訴人ら敗訴の部分を取り消す。

2 被控訴人山下龍保と控訴人との間において、同被控訴人が控訴人に対し労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

3 控訴人は各被控訴人に対し、左の各金員の支払をせよ。

(一) 別表一・給与表総額欄記載の各金員及びうち同表各年度欄記載の金員に対するそれぞれの該当年度の四月から翌年の三月まで毎月二八日から支払済みまで年六分の割合による金員。

(二) 別表三3・被控訴人らの一時金表総額欄記載の各金員及びうち同表各年度欄記載の金員に対するそれぞれの該当年度の夏季分は同年六月一一日から、冬季分は同年一二月一一日から支払済みまで年六分の割合による金員。

(三) 別表五・諸手当表合計額欄記載の各金員及びこれに対する昭和六二年四月一日から支払済みまで年六分の割合による金員。

(四) 昭和六二年四月一日以降本判決確定の日まで毎月二七日限り、別表一・給与表昭和六一年度欄記載の各金員(被控訴人大西、同高津については括弧内のもの。)及びこれに対する毎月二八日以降支払済みまで年六分の割合による金員。

4 控訴人は各被控訴人に対し、本判決確定の日の翌日以降毎月二七日限り、一か月あたり別表一・給与表昭和六一年度欄記載の各金員(被控訴人大西、同高津については括弧内のもの。)の支払をせよ。

5 附帯控訴費用は控訴人の負担とする。

6 右3、4項につき仮執行の宣言。

第二当事者の主張及び立証

次のとおり付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決三六枚目表六行目に「時に」とあるのを「特に」と訂正する。)。

一  被控訴人らの主張

1  被控訴人山下の地位について

(一) 被控訴人山下が訴外藤木海運株式会社(以下「藤木海運」という。)から控訴会社に移つたのは、藤木海運において山下の所属していた艀部門が廃止されることになり、「従来通り艀に乗りたいのであれば控訴人に移つてほしい。藤木海運に残りたいのであれば沿岸作業部門か船内作業部門に回つてもらうしかない。」と転籍か配転かの二者択一を迫られたことによる。右の如く一部門の廃止に伴つて人員整理の行われる場合、その部門にしか習熟していない労働者にとつては出向元に戻ることはもはや期待しえないから、在籍出向という形をとることは通常ありうることではなく、また黙示にもせよ期間の示されていない出向というものはないであろう。山下らが控訴会社に移るときに退職金のことが話題に上つたのも転籍なればこそであるし、従前主張(原判決事実摘示請求の原因第一項(一)(2)参照)の諸事実、就中控訴人が名古屋港労働公共職業安定所長に対し被控訴人山下を昭和五一年八月二一日雇入れた労働者として届け出ていること、解雇予告手当等の供託書に「供託者(控訴人のこと)は被供託者(被控訴人山下のこと)の使用者である。」と記載されていることなどは、端的に被控訴人山下に対する人事異動が転籍(移籍出向)であつたことを示している。

それに使用者の特定は、労働契約の最も重要な内容である。被控訴人山下は明確に控訴人方へ転籍する意思であつたのであり、契約の解釈においてはかかる労働者の意思を重視すべきである。そして、この意味では、仮に最初の人事異動が在籍出向であつたとしても、右の如き事実関係からして、後に至り被控訴人山下と控訴人との間には黙示の労働契約が成立したというべきである。

(二) また、仮に被控訴人山下の控訴人への異動が終始在籍出向の性質を帯びていたとしても、そもそも近代法の下にあつては、他人の指揮監督の下で労務を提供するという関係は契約を媒介することなしには生じえないから、凡そ出向と言われるものは、出向元との間における労働契約の履行ではなく、出向元及び出向先との間に二重の労働契約が複合的に成立しているとみるべきである。即ち、出向者と出向元との間には労働契約内容の変更たる労働義務免除の合意が、また出向先との間には所定の条件で労務に服するという労働契約がそれぞれ成立しているのである(甲第一〇五、第一〇六号証、第一〇八号証、第一一〇、第一一一号証などの諸文献参照。)。従つて、出向労働者は、たとえ在籍出向であつても、出向先を相手取つて当然に労働契約上の権利を主張できるものというべきである。

2  本件ユニオン・シヨツプ協定の効力について

(一) 一般にユニオン・シヨツプ協定(以下「ユ・シ協定」という)は確かに間接的に労働組合の拡大強化をめざす制度には違いないが、実際には使用者が特定の組合とユ・シ協定を締結し、労働者が使用者の意にそわない労働組合を結成したり選択するのを妨害することにより、労働者の団結権を維持強化するどころか、逆にこれを侵害しているのが現実である。従つて、ユ・シ協定の有効性は単純にこれを肯定してはならないのであつて、労組法七条一号但書の趣旨も、単にユ・シ協定を締結すること自体を不当労働行為には該当しないというだけで、右条項から直ちに使用者に解雇義務を発生させるものではなく、その意味でユ・シ協定の効力まで認めたものではない。使用者の解雇義務まで発生させるようなユ・シ協定はこれを無効と解すべきである。

仮に無効でないとしても、同様の趣旨から、本件ユ・シ協定の「故なく脱退」した場合に「解雇する」というその「故なき脱退」とは、例えば使用者の意をうけた脱退とか組合の存在自体を否定する趣旨の脱退のような労働者の団結権とは無縁な脱退に限定して解釈されるべきである。

ところで被控訴人らが参加人組合を脱退した経緯は従前主張のとおり(原判決事実摘示「補助参加人の主張に対する原告らの反論」の項参照)であつて、右のような解釈をとればもちろん、そうでなくても右「故なく脱退」した場合には該らない。

(二) 仮に本件ユ・シ協定が有効で、かつ被控訴人らの脱退が右協定にいう故なき脱退に該当するとしても、直ちに他組合に加入した者にはユ・シ協定の効力は及ばないこと従前主張のとおりである(原判決事実摘示「原告らの再抗弁」第一項参照。)。

控訴人は、そのような場合にも、脱退して別組合に入つた者が、別組合その他の外部勢力にそそのかされてユ・シ協定の締結組合を脱退して別組合に加入する等不当な目的で脱退が行われたような場合はユ・シ協定の適用を肯定すべき旨主張するが、一般論としても成り立ちえないのみならず、本件においては被控訴人らは、参加人組合が使用者寄りの組合であつて自主性がなく、かねてから参加人組合には何も期待しえないというあきらめの気持しか持ちえないでいたところ、たまたま参加人組合が艀船員の配転問題に対して艀労働者のために何一つしようとしないのを目のあたりにして、自らの権利を守るために参加人組合を脱退し全港湾(全日本港湾労働組合)の名古屋支部に加入したのであるから、いずれにしても控訴人の右主張は当たらない。

(三) また、本件ユ・シ協定は、解雇の例外に関する協議条項(第九条(3)ただし書)を有するもので、いわゆる「尻抜けユニオン」と呼ばれるものである。かかる場合、使用者は解雇すると否との自由を有するから、そこに濫用の危険もあることに注意すべきである。

これを本件についてみると、控訴人が被控訴人らを解雇することは、控訴人の艀部門縮小計画に添うことになるから控訴人の利益になることである。このために控訴人は、本来参加人組合との関係では協議によつて被控訴人らを解雇しないでおくことが出来たにもかかわらず、あえて本件解雇に及んだとみうるのであり、かかる解雇はこの意味でも解雇権の濫用というべきである。

3  金員請求の追加について(当審における請求の拡張分)

控訴人の被控訴人らに対する本件解雇の意思表示は無効であり、被控訴人らはいずれも控訴人の従業員であるから、他の従業員と同様賃金その他の諸手当が支給されるべきところ、控訴人は昭和五三年四月一日以後その支払をしないので、被控訴人らは従前、右昭和五三年四月一日から同五五年九月二〇日までの賃金等未払金の総額(原判決添付債権目録(三)記載の金額)と翌二一日以降については同日現在の月額給与額(原判決添付債権目録(四)記載の金額)を基準とした金員の各支払請求をしていたが、控訴人にあつては、その後も毎年月額給与の昇給をなし、かつ一時金及び諸手当の支給をしているので、これらを次のとおり追加請求する。

(一) 月額給与の追加

(1) 被控訴人らの昭和五五年九月二〇日現在の役職及び扶養家族は、原判決事実摘示「請求の原因」第三項(一)(1)に記載のとおりであるが、その後扶養家族に次のような変動があつた。

被控訴人杉浦 昭和五七年四月から妻のみ

同   須甲 昭和五六年一月から子供一名

同五七年一一月から子供二名

同五九年五月から子供三名

同   大西 昭和六二年一月から妻のみ

同   高津 昭和五九年九月から子供一名

同六二年一月から妻のみ

同   山下 昭和五七年九月から子供三名

(2) 被控訴人らの昭和五五年度の月額給与額は原判決添付債権目録(四)に記載のとおりであるが、控訴人は、昭和五六年度以降も毎年月額給与の昇給を実施しており、毎年四月から従業員に対し昇給額を支給してきた。その各年度の昇給基準は次のとおりである。

(イ) 昭和五六年度(当年四月より翌年三月まで、以下同じ。)

一五〇円(基本給日額)×二五+六〇〇〇円(付加給一律)+五〇〇〇円(精勤手当一律)=一万四七五〇円

(ロ) 昭和五七年度

二〇〇円(基本給日額)×二五+五七〇〇円(付加給一律)+三〇〇〇円(精勤手当一律)+二〇〇〇円(家族手当一律)=一万五七〇〇円

(ハ) 昭和五八年度

一五〇円(基本給日額)×二五+三〇五〇円(付加給一律)=六八〇〇円

(ニ) 昭和五九年度

一五〇円(基本給日額)×二五+三二五〇円(付加給一律)=七〇〇〇円

(ホ) 昭和六〇年度

一五〇円(基本給日額)×二五+五二五〇円(付加給一律)+一〇〇〇円(家族手当一律)=一万円

(ヘ) 昭和六一年度

一五〇円(基本給日額)×二五+四五五〇円(付加給一律)+一〇〇〇円(家族手当一律)=九三〇〇円

(3) 従つて、被控訴人らの昭和五六年度ないし同六一年度の各月額給与額を便宜昭和五三年度ないし同五五年度の分(従来主張のもの。原判決添付別表(一)参照)と共に表記すると、別表一記載のとおりである。被控訴人らは右表記載の月額給与を毎月二七日限り控訴人から支払を受くべき権利を有する。

(二) 一時金の追加

(1) 控訴人は毎年六月一〇日と一二月一〇日に一時金を支給しているが、昭和五五年冬季から同六一年冬季までの支給基準は別表三1記載のとおりであつた。しかして、被控訴人らの各年度の基本給日額は右別表三2記載のとおりである。

(2) また、被控訴人杉浦、同高津はいずれも主任であり、同大西は班長であるところ、右全年度を通じ、役職手当は主任一万五〇〇〇円、班長八〇〇〇円であつた。

また、被控訴人らの技能手当は、いずれも六〇〇〇円である。

(3) 従つて、被控訴人らの昭和五五年冬季ないし昭和六一年冬季の各一時金額を便宜昭和五三年夏季ないし同五五年夏季の分(従来主張のもの。原判決添付別表(三)参照)と共に表記すると別表三3記載のとおりである。被控訴人らは右表記載の一時金を毎年六月一〇日(夏季分)と一二月一〇日(冬季分)限り控訴人から支払を受くべき権利を有した。ちなみに、その合計額は右別表三3一時金表の総額欄記載の金額となる。

(三) 諸手当の追加

(1) 控訴人は、昭和五六年以降も、毎年従前どおりの日時、金額、基準で、従前主張(原判決事実摘示「請求の原因」第三項(三)参照)の花見代、祝儀、初出手当、行楽代、祝金を支給している。

(2) 従前主張の分に続く昭和五五年一〇月一日から昭和六一年一二月三一日までの間に控訴人の全従業員に一律に支給された花見代、祝儀、初出手当の合計額は九万六〇〇〇円である。

(3) 行楽代の基準となる各年度の七月時点における被控訴人ら各自の扶養家族数は次のとおりである。

五六年 五七年 五八年 五九年 六〇年 六一年

杉浦 大人三 大人一 同上  同上  同上  同上

須甲 大人一 同上  大人一 大人一 同上  同上

小人一     小人二 小人三

大西 大人三 大人一 同上  同上  同上  同上

高津 大人三 同上  同上  同上  大人二 同上

水谷 大人一 大人二 同上  同上  同上  同上

小人一

山下 大人一 同上  大人一 同上  大人二 同上

小人二     小人三     小人二

従つて、従前主張のものの外、被控訴人らが控訴人より支給を受けるべき行楽代は次のとおりである。

被控訴人杉浦 八万四〇〇〇円

同   須甲 一一万一〇〇〇円

同   大西 八万四〇〇〇円

同   高津 一三万二〇〇〇円

同   水谷 一〇万五〇〇〇円

同   山下 一二万六〇〇〇円

(4) 被控訴人須甲は昭和五六年、五七年、五九年に各一子をもうけ、また被控訴人山下は昭和五七年に一子をもうけたから、控訴人は被控訴人須甲に対し六〇〇〇円以上、被控訴人山下に対し二〇〇〇円以上の出産祝金を支給すべきである。

(5) 従つて、被控訴人らに対し昭和六一年一二月三一日までに支給されるべき諸手当を便宜従前主張の分と共に表記すると、その明細及び総額は別表五記載のとおりである。

(四) 遅延損害金の請求等

被控訴人らは従前遅延損害金の請求をしていなかつたが、新たに控訴人に対し、従前主張分も含め右各未払金の支払期日の翌日(ただし諸手当については一括して支払期日の後である昭和六二年四月一日)から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに、昭和六二年四月一日から判決確定の日まで毎月二七日限り昭和六二年三月現在の月額による給与の支払及びこれに対する支払期日の翌日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

なおその後も毎月二七日限り右月額給与を支払うよう予め求める。

二  控訴人の主張

1  被控訴人山下の地位について

(一) 藤木海運が艀全部を売却するに伴つて、被控訴人山下ら艀船夫に対し、控訴会社に出向するか、担当作業の変更に応ずるかの選択を求めたのは(なお、藤木海運は山下らに対し「慣れた艀の仕事がよいのであれば控訴会社に出向してもらいたい。」と言つたのであつて、転籍か配転かの二者択一を求めたのではない。)、右はあくまで人員の合理的配置を目的としたものであつて、人員整理を目的としたものではない。また、出向期間を定めることは出向の要件ではないから、期間の定めのないことは格別異とするに足りない。藤木海運から控訴人への出向者は約七〇名位存在するが、これらはいずれも出向期間の定めのないものばかりである。更に、出向に関する話合いの中で退職金の話題が出たのも、出向によつて退職金に如何なる影響があるかに関して説明がなされたに過ぎないのであり、その他被控訴人山下の控訴会社への異動が在籍出向であつて転籍でないことは控訴人従前主張のとおりである(原判決事実摘示請求原因に対する被告の認否および主張第一項(一)参照。)。また、本件は単に使用者の特定が問題になつた場合に過ぎず、使用者の特定につき労働者の意思に優位を置くべきだとする被控訴人らの主張は契約の一般原則を無視するものである。

(二) 更に被控訴人らは、出向の場合にも出向先と労働者との間に労働契約関係があると考えるべきだとし、出向者の出向元及び出向先との二重の労働契約関係をも主張するが、出向一般に二重の労働契約関係を認めることは出向の実態とかけ離れて論外であるし、本件においても被控訴人山下と控訴人との間に存する関係は、黙示的にもせよ労働契約が成立したとするには不十分である。けだし、出向の場合には労務につき事実上の指揮・服従関係が存在するのは当然のことであるから、単にそれのみで労働契約の成否を決定することはできず、本件の場合それ以上のものではないからである。

2  本件ユ・シ協定の効力について

(一) ユ・シ協定は労働組合がその労働力を一手に掌握することにより使用者に対する交渉力を増大させるものとして、その有効性が一般に承認され実際的にもひろく普及しているものである。被控訴人らの、ユ・シ協定一般ないし本件ユ・シ協定の各効力に関する解釈は到底採用しえないものであるが、たとえ本件ユ・シ協定にいう「故なき脱退」を被控訴人ら主張の如く狭く解したとしても、少なくとも組合の活動・運営などを不満とする脱退に正当事由が認められるためには、当該組合員が脱退前に多数の組合員の賛同を得て自己の意に添うような活動・運営がなされるべく努力したにも拘らず、一般組合員の無理解等当該組合員の責に帰しえない理由によつてその目的を達しえなかつたという段階を経る必要があろう。いずれにしても被控訴人らの脱退が本件ユ・シ協定にいう「故なき脱退」に該ることは明らかである。

(二) 被控訴人らはまた、ユ・シ協定締結組合からの脱退者が別組合に加入したような場合にはユ・シ協定の効力が及ばない旨主張するが、そのような解釈はユ・シ協定を事実上空文化するものである。けだし、ユ・シ協定が合法的なものとして承認される以上、締結組合の団結権と非締結組合の団結権との間に取扱上の差等を生じても、そのこと自体には十分な合理性があるというべきであるし、労働者の組合選択の自由に影響があるとしても、それは、元来排除されるべき公権力による自由の侵害に該る場合ではない。一般にユ・シ協定は労働者の団結権を実効あらしめる点でそれ相応の効果を発揮しているのであつて、もしユ・シ協定締結組合の組合員がユ・シ協定による規制を不当とするのであれば、情宣活動等により多数の組合員の賛同を得てこれを破棄する途もあるのであるから、憲法二八条がすべての労働組合に平等に団結権を保障しているとか、個々の労働者の組合選択の自由の保障も含まれているとかという抽象的理論を根拠にしてユ・シ協定の効力を否定するのは当たらない。

仮に百歩を譲り、一般論としては締結組合からの脱退者が別組合に加入した場合、ユ・シ協定の効力はこれに及ばないと解するとしても、右脱退者にユ・シ協定を適用することが衡平の原則に照らして相当であると認められるような特段の事情がある場合には、ユ・シ協定の適用を肯定すべきである。そうして、脱退が、締結組合から脱退すべき何らの合理的理由もないのに、別組合その他の外部勢力にそそのかされて行われる等不当な目的でなされた場合も、かかる一場合としてユ・シ協定の適用が肯定されるべきところ、本件については被控訴人らにつき次のような各事情が存するから、正に参加人組合を「故なく」脱退したものとして本件ユ・シ協定の適用を受くべきである。即ち、

(1) 被控訴人らの加入した全港湾の東海地方名古屋支部(以下「名古屋支部」という。)は、自己の組織の拡大を図るため、昭和五三年三月ころ、たまたま控訴会社において艀部門から他部門への労働者の配転問題があつたのを奇貨として、参加人組合杤木合同分会(以下「杤合分会」という。)の組合員を切り崩しの標的とし、多くの組合員に対し、或いは夜間私宅を訪問して執拗に参加人組合を脱退し全港湾名古屋支部に加入することをすすめ、本人不在の場合には組合活動と全く無関係な妻や子女に対してまで脱退工作をなし、或いは参加人組合自体や同組合杤合分会の室舘分会長を事実に反してまで不当に中傷、誹謗することまでして激しい脱退工作を行つた。このような度外れた手段・態様による脱退工作が、社会通念上許された正当な組合運動ないし組合間の競争の範囲を超えた不公正なものであることは言うまでもない。

(2) 被控訴人らが参加人組合を脱退して全港湾名古屋支部に加入したのは、右の如き全港湾名古屋支部と意を通じて行つたものであり、換言すれば、本件脱退は右の如き全港湾名古屋支部の参加人組合に対する組織破壊活動の一環をなすものである。このことは、被控訴人らの脱退には何ら首肯しうるに足る理由のないこと、同人らが全港湾と一体になつて、控訴人の艀部門の縮小問題に対する参加人組合の地道な取組みを歪曲し、参加人組合を非難中傷する全港湾の文書作成に積極的に加担していること、被控訴人らのうちには「名港労(参加人組合の略称)なんかはぶつつぶすんだ。ぶつつぶすために我々は全港湾に入つたんだ。」と公言してはばからぬものがいること等から、おのずから明らかである。

(3) 被控訴人らは脱退の表向きの理由を「参加人組合の活動・運営などが労使協調に片寄り過ぎ、組合員の利益や権利を守る点で極めて不満である。」とし、具体的には「控訴人においては昭和五二年一一月頃より艀船員の沿岸・船内部門への配転問題が生じていたところ、昭和五三年二月一三日控訴人の馬渕業務部次長は艀部門全労働者が一堂に会した全体会議の席上『希望配転を募るが希望者が一〇名に満たない場合は年の若い順から指名配転する』旨述べた。このような事態に艀船員の不安は増大したが、参加人組合からは何の意見聴取も説明もなく、室舘杤合分会長に至つては配転問題の存在さえ知らない有様であつた。」旨述べるが虚構である。艀船員の配転問題のあつたのは事実であるが、控訴人は配転はあくまで一方的な職務命令に基づくことなく、すべて従業員本人の希望による方針で臨んでいたのであり、右室舘分会長からも昭和五二年一二月二〇日頃つとにその旨申入れを受けていた。また、たとえ被控訴人らが仮に指名配転されることに不安を抱き、それを懸念して危機感を持つたとしても、右指名配転を行わせないように会社に働きかけてこれを阻止することは十分に可能だつたのである。ところが現実には、被控訴人らはこのような行動に及んだ事実は全くないままの状態で参加人組合から脱退したのであるから、脱退に正当の事由のないことは明らかである。

3  追加された金員請求について

被控訴人らは適法に解雇されたものであるから、給与、一時金等の請求権を有しない。以下の認否は被控訴人らが控訴人の従業員であると仮定した場合のものである。

(一) 月額給与の追加の主張に対し。

(1) 被控訴人らの主張3(一)(1)の事実は争わない。

同(2)の事実については、昭和五五年度の被控訴人大西を除くその余の被控訴人らの月額給与額、各年度の月額給与昇給額の計算方式のうち基本給日額の昇給分を一律に一五〇円或いは二〇〇円としている部分及び昭和五七年、同六〇年、同六一年の家族手当の増額を漫然と一律としている部分は否認するが、その余は認める。

同(3)の事実については、被控訴人大西に関する部分は認めるが、その余は否認する。

(2) 月額給与の昇給額についての控訴人の主張は次のとおりである。

(イ) 基本給日額の昇給額

基本給日額については、昭和五六年度ないし同六一年度においても、従前におけると同様、全従業員につき一律に二〇〇円或いは一五〇円の昇給を認めたのではなく、次のとおり勤怠査定減額及び勤務評定加減給がなされた。昭和五六年度、同五八ないし六一年度

(a) 欠勤がある者の場合

150円-勤怠査定減額+勤務評定加給

(b) 欠勤がない者の場合

150円-勤務評定減額

昭和五七年度

(a) 欠勤がある者の場合

200円-勤怠査定減額+勤務評定加給

(b) 欠勤がない者の場合

200円-勤務評定減額

しかして、右の勤怠査定減額及び勤務評定加減給の算出方法は、右各年度を通じ、従前主張の昭和五五年度分のものと同様である。

即ち、勤怠査定減額は、前年の三月二一日からその年の三月二〇日までの欠勤日数を基礎に、これを欠勤内容により別に定められた点数に換算し、その点数により別に定められた金額を減額するのであるが、右期間における被控訴人らの勤怠については査定できないので、いずれも一〇〇パーセント出勤とみなし、減額しない。

勤務評定加減給は、控訴人が毎年四月ころに行つている前年度の勤務評定(その評定の仕方は従前主張のとおり。原判決事実摘示「請求原因に対する被告の認否および主張」第三項(一)(イ)参照)に基づく評点により、右各年度とも本項末尾の表に従い加減給したのであるが、被控訴人らの場合は昭和五三年の解雇以来右勤務評定がなされておらないので、現在存在している資料のなかで最も近接した時期の勤務評定の資料である昭和五二年冬季一時金の時のものを使用するのが合理的であると考えられるところ、それによると、被控訴人らの勤務評定の最終平均評点は、被控訴人杉浦六・五、同須甲四・〇、同大西九・〇、同高津四・五、同水谷五・五、同山下五・〇であるから、右各年度を通じ、被控訴人杉浦、同大西、同水谷については勤務評定加減給はないが、被控訴人須甲、同高津、同山下については五〇円が減額される。

A表(欠勤による減額のある者に適用)

評点

五・五以上

増額

五〇円

B表(欠勤による減額がない者に適用)

評点

五・四以下

減点

五〇円

(ロ) 家族手当の増額

被控訴人ら主張の家族手当の増額は、昭和五七年度のそれは妻及び第一子目につき各一〇〇〇円を増額したものであり、昭和六〇年、六一年度のそれはいずれも妻に対し一〇〇〇円を増額したものである。

なお、被控訴人須甲と同山下は扶養家族が増えたとして家族手当の増額を請求しているが、控訴会社においては、家族手当は扶養家族の増加等に関し、控訴人に対して届け出がなされて初めて支給されることになつており、またその支給も届け出がなされた月より支給することになつているところ、被控訴人山下及び須甲は、これまで全く右届け出をなしておらないから、控訴人には右支払義務はない。

(3) 従つて、仮に被控訴人らに支払われるべきとした場合の昭和五六年度ないし六一年度の月額給与昇給額を試算すると別表二のとおりになる。

(二) 一時金の追加の主張に対し。

(1) 被控訴人らの主張3(二)(1)の事実については、そのうち、控訴人が毎年六月一〇日と一二月一〇日に一時金を支給していること及び被控訴人大西の基本給日額は認めるが、その余は否認する。

同(2)の事実は認める。

同(3)については、被控訴人大西に関する部分は認めるが、その余は否認する。

(2) 一時金についての控訴人の主張は次のとおりである。

控訴人が艀船員に対して支給した昭和五五年冬季から同六一年冬季に至る間の各季の一時金の算出は、別表四1記載の計算式によつてなされた。

右計算式にいう基本給日額については既に述べたところで、便宜被控訴人らの各年度の基本給日額を表記すると右別表四2記載のとおりである。

勤怠率は、従前におけると同様所定の期間の欠勤の有無に関するもので、被控訴人らについては右の期間中欠勤がなかつたものとするので、いずれも一〇〇パーセントである。

勤務評価率については、勤務評価の仕方、評価率とも、右の各季を通じ、従前主張(原判決事実摘示「請求原因に対する被告の認否および主張」第三項(二)(イ)参照)の昭和五三年夏季一時金のときと同様である。しかして、被控訴人らについては昭和五三年四月以降勤務評価をしていないので、前述の昭和五二年冬季の勤務評価の数値を五項目五点法に引き直し、一項目当たりの平均評点を算出して勤務評価率を定めると、被控訴人須甲、同高津、同山下の勤務評価率は九五パーセント、その余の被控訴人らはいずれも一〇〇パーセントとなることも、昭和五三年夏季一時金のときと同様である。

(3) 従つて、仮に被控訴人らに支払われるべきとした場合の昭和五五年冬季ないし同六一年冬季の各一時金の額を試算すると別表四3記載のとおりになる。

(三) 諸手当の追加の主張に対し。

(1) 被控訴人らの主張3(三)(1)の事実のうち、花見代の名目、支給日、支給対象並びに行楽代については否認するが、その余は認める。

被控訴人ら主張の花見代は花見代ではなく慰安会費であり、毎年四月中旬ころに作業職の全従業員に支給されるものである。

行楽代は昭和五四年以降は廃止していたが、参加人組合杤合分会の強い要請により昭和五六年度より復活させ現在に至つているものであるが、これについては後に述べる。

同(2)の事実は認める(ただし、花見代が慰安会費であること前記のとおり。)。

同(3)の事実は否認する。

同(4)の事実については、被控訴人須甲、同山下が子をもうけたことは争わないが、主張の趣旨は争う。

同(5)については、別表五のうち、花見代、みなと祭祝儀、初出手当、S54春闘解決の各項目の金額については認めるが、その余は否認する。

(2) 行楽代及び出産祝金についての控訴人の主張は次のとおりである。

行楽代は、昭和五三年度もそうであつたが、昭和五六年度の復活以降も全従業員を対象として長島温泉の金券付入場券をその扶養家族構成(会社の家族手当支給対象者)により配布したもので、これを換算した金額及び支給基準は各年度により異なつている。便宜年度別の換算金額を示すと次のとおりである。

長島温泉金券付入場券代金

単位=円

年度

大人

高校生

以上

中人

中学生

小人

小学生

幼児

3歳以上

53

5,240

3,570

2,300

54

55

中断

56

5,400

3,600

2,550

57

5,700

3,830

2,620

58

5,700

3,830

2,620

59

4,940

3,460

2,480

60

5,100

4,540

3,540

2,560

61

5,200

4,700

3,700

2,600

(注) 年齢及び学齢は支給日現在を使用する。

次に出産祝金については、前述の家族手当請求の場合と同様、出生の届け出をなさない限り祝金を支払わない取扱いであるところ、被控訴人山下及び同須甲はこれまで何等の届け出もしていないので、控訴人は右支払義務を負わない。

(四) 遅延損害金等の主張に対し。

控訴人が被控訴人ら主張の遅延損害金等の支払義務を負つていることは否認する。

三  補助参加人の主張

1  参加人組合の歴史、組織、運営等(従前の主張の補充)

名古屋港では、戦前から艀船員を中心とした中部港湾労働組合等の労働組合が結成されていたが、いずれも戦時統制の強化と共に強制解散させられた。戦後、旧労組指導者有志の発起で労働組合の再建が行われ、昭和二一年に全港湾の前身たる全国港湾労働同盟の結成をみるに至つたが、昭和三〇年前後のころに至るや、わが国の労働組合の大勢は総評独裁の絶頂期となり、名古屋港でも総評左派に属していた全港湾の組織一色に塗りつぶされて、常軌を逸した政治的ストが年中行事のように強行される有様となつた。こうした事態が国民感情の反発を招いたのも当然で、参加人組合は昭和三〇年一月、スト闘争至上主義を避け、国民的自覚と良識、健全な労使協調の確立を基本綱領として、真に港湾労働者の社会的経済的向上を図るために結成されたものである。そうして、組合員の利益を図り労働条件の改善活動等を地道に行つてきたので、港湾労働者の強い支持を得て発展し、昭和四〇年代から名古屋港一帯における労働組合の主導的役割を果たし現在に至つていること既に述べたとおりである。ちなみに、昭和五三年ころの組合員総数は約二五〇〇名であり、八分会一支部があり、上部団体として日本港湾労働組合連合会に加盟している。

参加人組合は最高議決機関として組合大会を毎年五月に定期的に開いており、大会の参加メンバーは本部役員(組合長、副組合長、書記長、副書記長、執行委員)のほか評議委員、代議員である。代議員は組合員の総意をできるだけ効率的に反映させるために採用されている制度で、各分会、支部の全組合員により直接無記名投票で選ばれるのが原則であるが、杤合分会においては各職場の声がまんべんなく大会に反映されるように、各職場ごとから代議員を職場の意見で選出するという割当制を採用し、船内部門から三名、沿岸部門から三名、艀部門から二名、職員部門から一名を選出することにして結果の妥当性を図つてきた。また、組合大会に代わり組合の重要事項を決議する機関として評議委員会が置かれ、本部役員と評議委員とで構成され、評議委員は各分会・支部ごとに組合員数一五〇名ごとに一名の割合で選出される。杤合分会では分会役員が評議委員を兼務する慣行が定着していた。他に本部役員で構成される執行委員会がある。このように参加人組合は常に組合員の総意を吸上げ運動に反映させるように組織作られた極めて民主的な組合である。

2  参加人組合に対する組織妨害について

被控訴人らの参加人組合からの脱退は、全港湾の社会通念を逸脱した組合員獲得運動に加担し、参加人組合に対する組織妨害活動の一環としてなされたものである。即ち、全港湾の組合員獲得競争は不当に参加人組合を誹謗中傷するなど違法な行為に及び、その程度は組合間の正常な競争を超え秩序を破壊するものであつたのであり、被控訴人らは何ら正当な理由もないのにこれに加担したものであるから、それは通常の組合選択の自由の範囲を逸脱したものである。

第三新たな証拠関係〈省略〉

理由

一  被控訴人山下以外の被控訴人らがいずれも昭和四二年四月一日控訴人に雇用され、艀船員として勤務していたこと、控訴人が港湾運送事業、倉庫業等を営み、従業員約三〇〇名を擁する株式会社であることは当事者間に争いがない。

二  被控訴人山下の地位について

被控訴人山下は、同被控訴人も控訴人との間に労働契約上の関係を有する通常の従業員であつた旨主張するが、当裁判所も同被控訴人は藤木海運から控訴人に出向した社員であつて、控訴人との間には労働契約が存せず、出向労働者として控訴人の指揮に従い労務を提供して賃金支払を受けることを主とした関係を有したに過ぎないものと考えるのであつて、その理由は、次のとおり付加するほか、原判決の当該部分の理由説示と同一であるから、これ(原判決四四枚目表五行目から五五枚目表四行目まで。ただし、四八枚目裏九行目に「山下から」とあるのを「山下ら」と訂正し、また五三枚目表一〇行目に「原告」とある次に「山下」を加える。)を引用する。

1  右認定(原判決引用)に反する乙第三二号証、第九〇号証中の各記載並びに当審証人馬渕進の証言部分は、原審における被控訴本人山下の供述その他弁論の全趣旨と対比してにわかに措信しえない。ちなみに付言すれば、被控訴人山下の籍が控訴人にあると昭和五三年三月一〇日に言つたのが馬渕業務部次長でないことは原判決もそのとおり認定しているものであるが、さりとて、右馬渕進の証言ないし陳述書は、右とは反対に、「籍はあくまで藤木海運にある旨を告げた。」と明言したというのであるが、もしそのようなことがあつたのであれば、控訴人方の事実上の監督であつた深谷能代が、右次長の発言の直後に、これとは逆の趣旨の対応をする筈もないから、この点に関する被控訴本人山下の供述をすべて虚構と断定する訳にはいかないし、また、「被控訴人山下に対し控訴人への出向方を勧誘した際に『控訴人に移つてほしい。』とか『退職金は現時点で受け取つてもよいが、将来退職の際に受け取つてもよい。』というような言葉は使つていない。」という藤木海運の杉浦一弘の陳述書も、「出向してほしい。」という意味で「移つてほしい。」ということもあろうし、出向命令を伝達する機会でない、労働者の希望を打診する機会に、身分変動の仕方等について複数の角度から話題になつてもおかしいことではなく、倉地稔の陳述書(乙第三八号証。その成立は原審証人倉地稔の証言によつて認める。)にも「被控訴人山下ら三人で話し合つた結果、退職金を貰つて控訴会社に入社したのではまた一年生から始めなければならないから貰わずに行くことにした。」とあることなど弁論の全趣旨に照らし考えると、右馬渕や杉浦の陳述書等は未だ右認定を左右するには至りえないのである。しかし、さりとて右の如き発言から直ちに、杉浦次長らが控訴人への移籍出向を示唆したとの結論を導きえないこともいうまでもない。

2  被控訴人山下の昭和五一年八月の人事異動が在籍出向であるとの右判断に対し、被控訴人山下は右認定事実からすればむしろ控訴人に転籍(移籍出向)したとの結論が導かれるべきであつて、就中藤木海運は右の時点で艀部門を廃止し艀船員を整理しようとしたのであるから、控訴人から藤木海運への復帰など期待すべくもなく、かかる事情の下でなされた異動は当然転籍とみるべきものだと主張する。

しかしながら、出向の中に実際上種々の形態のものがあることは被控訴人山下も認めるところであつて、人員整理の目的でなされる出向も巷間さまで珍らしいことではない。従つて、同被控訴人の出向が藤木海運において艀部門を廃止した機会になされたものであること、明示的にも黙示的にも期間の定めのなかつたことなどはいずれも右人事異動を在籍出向と解することを妨げるものではない。異動に際して退職金のことが話題になつたことも格別結論を左右する程のものでないことは前記のとおりである。また、出向の場合、労働者は出向先の企業に対しその指揮命令のもとで労務提供を行うので、出向先の勤務管理や服務規律に服することとなるのは当然であるし、他方、出向先もこれに伴つて安全配慮義務、労働基準法や労働安全衛生法などの労働保護法の定める使用者ないし事業者としての責任などの一部を通常分担することになろう。このほか、例えば退職金の例一つをとつても、本件において、藤木海運と控訴人の両社の勤務期間が通算され、両社で分担される扱いになつていたとみるべきこと前認定のとおりである。これら、出向の場合に通常みられる出向元企業と出向先企業の密接な関係、役割分担等の関係を背景に考えると、被控訴人山下に対する港湾労働法一三条所定の届出を控訴人が行つていること、控訴人が解雇予告手当等を供託していることなど被控訴人山下指摘の諸事実も、未だ必ずしも右の判断を左右するだけの決定的な力を有さず、これらの諸点を十分考慮してもなお、被控訴人山下は藤木海運との間に労働契約関係を存続させながら、控訴会社に出向していた者と解するのが相当である。

3  被控訴人山下はまた、同被控訴人が出向労働者であるというだけで、出向先たる控訴人との間に労働契約の存在を否定すべきではなく、仮に在籍出向とみられる場合でも、むしろ出向元たる藤木海運との間に存するそれと並んで二重の労働契約関係を認めるべきだと主張する。しかし、なるほど、なかには出向先企業と出向労働者との間に、単に日常の労務指揮の服従関係(これが通常の出向労働者と出向先との関係である。)以上の関係たる雇用契約関係の存することが、出向元、出向先、労働者の三者の実態関係に即して認められる場合もありうるかもしれない(例えば、出向の例ではないが、神戸地裁昭和四七年八月一日判決・労働判例一六一号三〇頁の事案は、単に労働者の供給のみを目的として独自の企業活動を行わない下請業者に雇われたうえ、その親会社に派遣された労働者と右親会社との間に黙示の雇用契約関係が認められた例である。)が、これを一般の場合に常にそうだとすることは、出向労働者にとつて出向元・出向先間の通常複雑な権利義務の分担関係にかんがみ、自己の権利義務がかえつて不明確になるおそれもあるし、多くの場合出向の実態とも添わないこととなろう。

むしろ通常の場合は、出向労働者と出向先との関係は、出向元との間に存する労働契約上の権利義務が部分的に出向先に移転し、労働基準法などの部分的適用がある法律関係(出向労働関係)が存するにとどまり、これを超えて右両者間に包括的な労働契約関係を認めるまでには至らないものというべく、本件も、前認定の事実その他本件証拠に現れた控訴人と被控訴人山下の関係のみでは、未だその例外ではないと解せられるのである。

三  本件解雇の効力について

1  被控訴人山下以外の被控訴人らに対する解雇について

(一)  控訴人が昭和五三年三月三一日右被控訴人らに対し控訴人主張のとおり本件解雇の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。しかして、右被控訴人らはいずれもかつて参加人組合の組合員であつて同組合杤合分会に所属していたところ、昭和五三年三月一七日ころ参加人組合を脱退し、直ちに全港湾に加入したものであること、控訴人と参加人組合との間には控訴人主張どおりの内容の本件ユ・シ協定が存すること、本件解雇が右ユ・シ協定に基づいてなされたものであることも当事者間に争いがない。

(二)  ところで、ユ・シ協定の効力一般については、一部に無効論も存するところであるが、労働者の権利や自由は通常団結を通して実現されるものであり、ユ・シ協定は労働組合の組織の拡大強化を図ることにより労働者の団結権を保護しようとしたものであるから、その効力を一概に否定する必要はない。しかし、それはまた「両刃の剣」などとも評されるように濫用の危険も存するのであるから、右のような正当な機能を果たすものと認められる限りにおいてのみその効力を承認することが出来るものであると解すべきところ、憲法二八条はすべての労働者に対し団結権を保障し、労働者の組合選択の自由は右団結権の重要な一内容をなすものであるから、ユ・シ協定をもつて、併存する他の労働組合の存在、ひいては従業員の組合選択の自由を否認する根拠とすることはできない。

従つて、ユ・シ協定を締結している労働組合の組合員が、右組合を批判し、新たに組合を結成し、または既存の他の組合に加入する目的をもつて右組合から脱退することも、右組合選択の自由の一つとして本来当該労働者の自由になしうるところというべく、かかる場合ユ・シ協定の効力は、右脱退が単に脱退労働者の個人的事情や使用者と通謀してなされた等の特段の事情のないかぎり、右脱退組合員には及ばないものと解するのが相当である。そうして、かかる場合、脱退組合員が、所属する組合においては自己の意思または利害が全く抑圧されて自己の労働権を確保することが著しく困難な状況にあつたなどの条件は、これを付するを要しないものと考える。控訴人は、ユ・シ協定の効力の及ぶ範囲をかく狭く解することはユ・シ協定を空文化させるものであると主張するが、全く無意味になつてしまうわけではないし、もともとユ・シ協定は個々の労働者の、組合に入らない自由や組合選択の自由等との対立をはらみ、法の解釈はかかる対立する諸利益の調整を目指さなければならないのであるから、やむをえないところというべきである。

(三)  そこで、これを本件についてみるに、本件ユ・シ協定の文言が「故なく乙(参加人組合のこと。)を脱退した場合」というように「故なく」という修飾を付しているので、それが如何なる意味を有するかがまず問題となるが、ユ・シ協定一般の効力に関する前段説示の解釈は、当該ユ・シ協定の文言中に「故なく」というような文言を付されていなくても同様に解すべきであるから、右字義のせんさくは本件にあつては特段の意義を有しない。

しかして、被控訴人らは全港湾名古屋支部に加入するために参加人組合を脱退したものであるところ、成立に争いのない甲第八四号証、乙第五五号証、第五七号証の一・二、丙第一号証、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第五四号証、第八五ないし第一〇三号証、第一一四号証、乙第一〇ないし第一四号証、第一五号証の一ないし八、第一六号証、第七三ないし第八五号証、第九一号証の一・二、第一〇〇号証、丙第五ないし第九号証並びに当審証人馬渕進、同室舘光雄の各証言、被控訴本人杉浦二三男の当審における供述を総合し、弁論の全趣旨を参酌すれば、(1)参加人組合は昭和三〇年一月、当時名古屋港の港湾労働者の大半をその組織下に擁した全港湾名古屋支部の指導路線に反発して同支部を脱退した三職場分会(藤木海運外二社の各分会。当時未だ控訴会社は設立されていない。)の従業員が結成した労働組合で、全港湾名古屋支部と参加人組合は、その運動方針や指導綱領に違いはあるものの、共に長い歴史とそれ相応の運動実績を有する名古屋港地区における指導的な労働組合であること。尤も、両組合の栄枯盛衰を組合員数の多寡によつてみると、参加人組合の発足当時圧倒的多数を誇つていた全港湾名古屋支部はその後において組合員が大量に脱退し、昭和五三年ころには参加人組合は二五〇〇名余の組合員数を有するのに対し、一〇〇〇名を割るまでに凋落してしまい、そのため全港湾名古屋支部では昭和五二年度の定期大会で新組合員一〇〇名の獲得を決め、それを受けて昭和五三年一月一九日の執行委員会では同年二月から向う四か月を組織拡大月間としてそのための運動を勢力的に行うことを取り決めたこと。(2)折柄、控訴会社においては、昭和四八、九年ころ以降減少の一途をたどりつつあつた艀業務に対処すべく、昭和五二年末ころから同部門の合理化が内部的に検討されつつあつたが、昭和五三年に入つて一月の役付者会議、二月一三日の全体会議等において、艀船員に対し船内、沿岸部門へ一〇名程度の配転希望者を募りたい旨の会社の方針が公にされたところ、あたかもその時期が前記全港湾名古屋支部で組織拡大運動を勢力的に展開し始めた時期にあたつていたため、同支部の組合員らが同年二月から三月にかけてしきりに被控訴人らを含む参加人組合の組合員のところへも戸別訪問等をして全港湾への加入方を勧誘して廻つたのであり、その際しばしば右配転問題のことなどを話題に供しては「参加人組合にいても何もしてもらえないから全港湾に入れ。」という趣旨のことを言つて全港湾への加入をすすめたこと。(3)被控訴人らはいずれもこうした勧誘を受けているうちに全港湾に参加する気持になり、全港湾名古屋支部に加入するべく参加人組合を脱退したものであること。以上の各事実が認められるのであつて、右の事実関係によれば、いずれにしても前記説示の解釈に従い、本件ユ・シ協定の効力は被控訴人らには及ばないと解して妨げない。

(四)  控訴人は、全港湾名古屋支部の組合員獲得の仕方には、或いは既に参加人組合に入つている者のところへ夜間或いは留守中家族の者に迷惑をかけるような形で押しかけ、或いは参加人組合のことを不当に中傷するなど組合間の正常な競争の限度を超えたものがあり、被控訴人らはこれに加担したものである旨主張するが、全港湾名古屋支部の組合員の行動に何らかの行き過ぎがあつたとしても、それが別途参加人組合に対する信義則違反ないし不法行為の問題となることあるは格別、右のゆえをもつて直ちに被控訴人らの脱退が通常の脱退以上の消極的評価を受けなければならないとは即断しえない。被控訴人らが参加人組合を脱退したこと自体は確かにそれだけ参加人組合の組織を弱めることではあるが前記の如く組合選択の結果であるからそれ自体は不法性を帯びるものではなく、そして本件については、それ以上に、被控訴人らにつきなんらかの参加人組合に対する違法行為ないし著しい組織妨害行為をあえてした証拠はない。従つて、被控訴人らには、本件ユ・シ協定の効力を及ぼすべき特段の事情があるとの控訴人の主張は採用することができない。

(五)  結局、本件ユ・シ協定によつては控訴人に被控訴人山下を除く被控訴人らを解雇する義務は生じない。そうすると、他に右被控訴人らに対する解雇の合理性を裏づける特段の事由の認められない本件においては、本件解雇を社会的に相当なものとして是認することはできず、結局、右協定に基づく本件解雇は、解雇権の濫用として無効なものというべきである。

2  被控訴人山下に対する解雇について

被控訴人山下が参加人組合を昭和五三年三月一七日ころ脱退し、そのころ全港湾名古屋支部に加入した事実は当事者間に争いがない。

そして本件において参加人組合を脱退したことを理由とする解雇が許されないことは、同被控訴人以外の被控訴人らの解雇についてさきに判断したのと同様である。すると、その余の点を判断するまでもなく、被控訴人山下に対する本件解雇も無効である。

四  被控訴人らの控訴人に対する賃金等の請求権について

被控訴人らに対する本件解雇の意思表示が無効であり、被控訴人らは依然として控訴人の従業員ないし出向社員としての地位を有することは以上判示したとおりであるから、被控訴人らが本件解雇の日の翌日である昭和五三年四月一日以降も控訴人に対し賃金等の請求権を有することは明らかである。よつて、以下その額について判断する。

1  月額給与について

(一)  被控訴人らがいずれも本件解雇当時、毎月二七日限り、前月二一日から当月二〇日までの分の月額給与の支払を受けていたこと、控訴人が昭和五三年から昭和六一年までの間毎年月額給与の昇給をしており、毎年四月から従業員に対し昇給額を支給していたこと、被控訴人大西が昭和五三年四月一日以降も引続き控訴人の従業員としての地位を有していた場合の同被控訴人の昭和五三年度ないし昭和六一年度(但し、昭和六二年一月以降の分を除く。)の月額給与額が別表一の被控訴人大西欄記載のとおりであること、以上は当事者間に争いがない。

(二)  そこで、その余の被控訴人らの昭和五三年度ないし同六一年度の月額給与額及び被控訴人ら全員の昭和六二年一月ないし三月分の月額給与額を検討する。

(イ) 昭和五三、五四、五五年度の月額給与額

右各年度については、当裁判所の認定、判断も原判決の当該部分の理由説示と同一である。よつて、これ(原判決六〇枚目裏一行目から同六四枚目裏六行目まで。)を引用する。

なお、被控訴人須甲は昭和五六年一月に扶養家族(子)が一名増加したことを理由にその分の家族手当をも請求しているが、弁論の全趣旨により成立の認められる乙第一一四号証によれば、右家族数の変動時点に効力を有していた控訴人方の作業員給与規定では、「家族手当は本人の申告により……支給する。」(第一三条)との定めとなつていることが認められるところ、同被控訴人がかかる申告ないしこれと同視すべき行為をしたと認めるに足る証拠がないから、右手当はこれを認めることができない。

(ロ) 昭和五六年度ないし同六一年度の月額給与額

右各年度の月額給与の昇給基準が、昇給額の計算方式のうちの基本給日額の部分及び昭和五七年度及び昭和六〇、六一年度の家族手当の増額が一律であつたか否かを除いて、被控訴人ら主張のとおりであつたことは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨により成立の認められる乙第一一〇、第一一一号証によれば、右計算方式のうち基本給日額については各年度とも控訴人主張のとおりの方法により勤怠査定減額及び勤務評定加減給がなされていたこと、被控訴人らについては右各年度を通じ前年三月二一日から当該年度の三月二〇日までの勤怠記録は存せず、各給与改定時における勤務評定もなされていないことが認められる。

かかる場合、右各年度を通じ、各月額給与改定時の被控訴人らの勤怠査定はいずれも一〇〇パーセント出勤とみなし、勤務評定加減給は昭和五二年冬季一時金支給の際の勤務評定に基づいてするのが相当であると解せられることは、前記昭和五五年度以前の場合と同様である。

また、昭和五七年度二〇〇〇円、昭和六〇、六一年度各一〇〇〇円の家族手当の増額については、弁論の全趣旨により成立の認められる乙第一一三号証によれば、昭和五七年度のそれは妻と第一子目に対し各一〇〇〇円宛、昭和六〇年、同六一年度のそれは妻に対してのみ一〇〇〇円を増額したものと認められ、反証は存しない。

ところで、被控訴人らは前記被控訴人須甲の第一子についてと同様、右の期間内に生じた扶養家族の変動について、変動の事実が生じた時から直ちにその受くべき家族手当に当然に影響があるものとして右各年度の月額給与の計算を行つている。しかし、弁論の全趣旨により成立の認められる乙第一一三、第一一四号証によれば、控訴人の給与規定の定めは前判示のとおりであつて、控訴人においては家族手当は、扶養家族の増減につき当該従業員から控訴人に対して届出がなされて初めて、届出がなされた月からそれに応じて変更した額の支給がなされることになつていることが認められるところ、被控訴人らが本件附帯控訴の趣旨変更申立書において右扶養家族の変動に見合つた家族手当の支給を求める意思を明白にするまで、右届出ないしこれと同視すべき行為をしたと認めるに足る証拠がない。しかして、右附帯控訴の趣旨変更申立書はこれを右届出(給与規定上の申告)と同視して妨げないところ、右申立書が昭和六二年二月一六日に控訴人に送達されたことは当裁判所に顕著である。そこで、この限りでは昭和六二年二月分から控訴人は被控訴人らに対し前記扶養家族の増加ないし減少に見合つた家族手当を支給すべきであるが、右のうち減少については被控訴人らが自ら事実発生時からの分を減額して請求しているので当裁判所もこれに従う。

そうすると、被控訴人らの昭和五六年度ないし同六一年度の月額給与の昇給額は、被控訴人杉浦について、昭和五七年度の家族手当の昇給額をマイナス三〇〇〇円(これは同年度妻につき一〇〇〇円の増額があつたが、子供二名分を差し引くことによる。)、合計額を一万七〇〇円、被控訴人須甲について昭和五七年度、同六〇年度、同六一年度の各家族手当の昇給額、昇給合計額をそれぞれ昭和五七年度一〇〇〇円、一万三四五〇円、同六〇年度一〇〇〇円、八七五〇円、同六一年度一〇〇〇円、八〇五〇円と訂正するほかは控訴人主張のとおり(別表二参照)であり、これに年度の途中から生ずる前記家族手当の増減による変化を加味すると、右期間の各被控訴人の月額給与額は結局別表六のうち対応年度分のとおりであることが認められる。被控訴人大西の昭和六二年一月以後の月額給与額が変わるのも、同被控訴人自身その月から子供二名を扶養家族から削つて請求していることによるものである。

(三)  以上によれば、被控訴人らの昭和五三年四月分より同六二年三月分までの間の月額給与の合計額は別表六記載のとおりとなるところ、成立に争いのない甲第六号証の一ないし六によれば、控訴人は被控訴人らに対し本件解雇時に昭和五三年三月二一日から同月三一日までの間の未払給与として別紙六の表の控訴人供託分欄記載の金員を提供したが、受領拒絶されたのでこれを名古屋法務局に供託したことが認められるから、前記合計額から右供託額をそれぞれ控除すると、控除後の合計額は同表の該当欄記載のとおりとなる。

よつて、被控訴人らは控訴人に対し、本件解雇の日の翌日である昭和五三年四月一日から昭和六二年三月二〇日までの間の月額給与分として、それぞれ、別紙六の表の「供託分控除後の合計額」欄記載の金員と、この間毎月の月額給与額(昭和五三年四月分は同表昭和五三年度欄記載の月額給与額から前記控訴人供託分を除いた額)に対する各給与支給期日の翌日(毎月二八日)から支払済みに至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を請求する権利を有するというべきである。

ところで、本件口頭弁論終結時未だ弁済期の到来していない昭和六二年三月二一日以降の月額給与(厳密には昭和六二年三月二七日支払期日の同年二月二一日から同年三月二〇日までの分もこれに含めるべきなのであるが、この分については便宜履行期の到来している分と一括して扱つた。)のうち本判決確定の日までの分については、控訴人が被控訴人らの就労を拒否している態度に照らして、遅延損害金とも予めその請求をする必要があるというべきであるから、これをも認容すべきである。しかし、本判決確定の日の翌日以降の月額給与の支払請求については、本訴において予めその請求をする必要は認められないから、右請求にかかる部分は訴の利益を欠き却下を免れない。

2  一時金について

(一)  控訴人が毎年六月一〇日と一二月一〇日に一時金を支給していること、被控訴人大西が昭和五三年四月一日以降も引続き控訴人の従業員としての地位を有していた場合の同被控訴人の昭和五三年夏季ないし昭和六一年冬季の各一時金の額及びその合計額が別表三3の被控訴人大西欄記載のとおりであることは当事者間に争いがない。

(二)  そこで、その余の被控訴人らの昭和五三年夏季ないし同六一年冬季の各一時金額について判断する。

(イ) 右のうち、昭和五三年夏季ないし同五五年夏季の各一時金については、当裁判所の認定、判断も原判決の当該部分の理由説示と同一である。よつて、これ(原判決六六枚目表九行目から同六八枚目表六行目まで。)を引用する。

(ロ) 昭和五五年冬季ないし同六一年冬季の分についても各一時金の計算方式についての控訴人の主張と被控訴人らの主張の違いは、勤続加給、役付手当などの名目を別にすれば、被控訴人ら主張の算式によつて決まる一時金支給基準額(ただし、基本給日額の主張が異なるので結果として得られる具体的数額には差が生ずる。)に毎期控訴人主張の勤怠率と勤務評価率を乗ずるか否かにあるところ、弁論の全趣旨により成立の認られる乙第一一〇号証、第一一二号証によれば、右期間被控訴人らを除く艀船員に支給された各一時金の計算方式は、いずれも控訴人主張のとおり勤怠査定、勤務評定の結果を加味したものであつたこと、しかして右評価の仕方、勤怠率、勤務評価率の決定方法なども控訴人主張どおりであつたこと、被控訴人らはいずれも昭和五三年三月三一日をもつて解雇されたため、その後被控訴人らの右勤務評定等はなされていないことが認められる。

かかる場合、勤怠率については、被控訴人らは控訴人の責に帰すべき事由により就労しえなかつたのであるからいずれも一〇〇パーセント出勤とみなし、勤務評価率については昭和五二年冬季一時金支給の際になされた三項目三点法による勤務評定に基づき、これを五項目五点法による評点に引き直し、一項目当たりの平均評点が三・〇以上となる被控訴人杉浦、同大西、同水谷の勤務評価率を一〇〇パーセント、二・九以下となる被控訴人須甲、同高津、同山下の勤務評価率を九五パーセントとすべきだとする控訴人の主張には合理性が認められるからこれによるのが相当である。

(ハ) 基本給日額については、被控訴人大西以外の被控訴人らの昭和五五年度の基本給日額は前認定(原判決引用)のとおりであり、その後の各年の月額給与改定の際の右被控訴人らの基本給日額の昇給額については先に認定したとおりであるから、右各年度の基本給日額は別表四2記載のとおりとなる。また、被控訴人杉浦、同高津は主任であるところ、昭和五五年度ないし同六一年度の主任手当(役付手当ないし役職手当)がいずれも一万五〇〇〇円であつたこと及び被控訴人らの技能手当がいずれも六〇〇〇円であることは当事者間に争いがない。

なお控訴人主張の計算式中の勤続加給は、被控訴人ら主張のとおり勤続年数に一万円を乗じた額で、被控訴人ら全員について昭和五六年夏季一時金支給時における勤続年数は一四年であることにも明らかに争いがない。

(ニ) 以上によれば、被控訴人大西以外の被控訴人らの昭和五五年冬季ないし同六一年冬季の各一時金の額(円未満の端数は切捨て)は別表四3記載のとおりであると認められる。

(三)  よつて、被控訴人らは控訴人に対し、それぞれ、昭和五三年夏季ないし同六一年冬季の各一時金の合計額である別紙債権目録(二)記載の金員と、この間各季の一時金額に対する各一時金支給期日の翌日(夏季分は六月一一日、冬季分は一二月一一日)から支払済みに至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を請求する権利を有するというべきである。

3  諸手当について

(一)  支給金の正確な名称の点は別として、控訴人が毎年四月に花見代(控訴人の主張によれば慰安会費)として作業職の全従業員に対し一万円宛を、毎年七月二〇日の海の記念日に祝儀として全従業員に対し五〇〇〇円宛を、毎年一月四日に初出手当として全従業員に対し一〇〇〇円宛を支給しているほか、昭和五四年春闘が解決した際に解決一時金(控訴人の主張では昇給一時金)として作業職の全従業員に対し一律四万円を支給したことは当事者間に争いがない。

そうすると、昭和五三年四月一日から同六一年一二月三一日までの間に支給された右諸手当の作業職従業員一人当たりの合計額は一八万三〇〇〇円と認められる。しかるに被控訴人らはこれを一八万四〇〇〇円として計算しているが、これは昭和五三年一月四日に受け取つた筈の初出手当を加えているためで(別表五初出手当の項目参照)、昭和六二年一月四日の初出手当を主張するならばともかく、右を計算に加える根拠はないから過誤によるものと認められる。

(二)  控訴人が特別慶弔見舞金規定に基づき結婚祝として一万円以上を、子女の出産祝として一子につき二〇〇〇円以上を支給していること、被控訴人須甲が昭和五五年一月に結婚し、同五六年一月、同五七年一一月、同五九年五月に各一子をなし、被控訴人山下が昭和五四年八月及び同五七年九月に各一子をもうけたことは当事者間に争いがないところ、控訴人は、右祝金は当該従業員から控訴人に対し婚姻届出や出生届出がなされない限り支払わない取扱いであると主張するが、平常の場合とは異なる本件の如き場合にあつては、前記の賃金仮払い仮処分申請書ないし附帯控訴の趣旨変更申立書の送達により、右届出が控訴人に対してなされたものと認めるのが相当である。

(三)  行楽代について、被控訴人らは、控訴人が昭和五三年以降も毎年七月に行楽代として全従業員に対し被控訴人ら主張の額の金員を支給していると主張するが、右主張事実を認めるに足る証拠はない。尤も、控訴人の主張によれば、昭和五三年度及び同五六年度以降は長島温泉の金券付入場券を従業員本人及びその扶養家族(家族手当対象者)に配布したというのであり、弁論の全趣旨により成立の認められる乙第一一五号証により右事実が認められる。そこで、被控訴人らが本件解雇がなかつたならば他の従業員と同様右入場券の配布を受けたであろうことはもとより想像に難くないが、それを直ちに金員の支給と同一視することはできない。

(四)  以上によれば、諸手当分として控訴人に対し、被控訴人須甲は一九万九〇〇〇円、同山下は一八万七〇〇〇円、その余の被控訴人らはいずれも一八万三〇〇〇円の支払を請求する権利を有する。よつて、被控訴人らの諸手当金の請求は、右各金員と、これに対する各支払期日の後である昭和六二年四月一日から支払済みに至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を請求する限度で正当である。

五  結論

以上の次第であつて、結局、被控訴人らの本訴請求は次の限度で正当である。即ち、地位の確認請求については、被控訴人山下以外の被控訴人らが控訴人に対しそれぞれ労働契約上の権利を有する地位にあること及び被控訴人山下が控訴人に対し出向労働者としての権利を有する地位にあることの確認を求める限度、金員請求については、控訴人に対しそれぞれ別紙債権目録(一)記載の給与総額(別表六の「供託分控除後の合計額」欄記載のものに同じ。)とうち毎月の月額給与につき支払期日の翌日たる各該当月の二八日から支払済みに至るまで年六分の割合による遅延損害金(その明細は別紙債権目録(一の1)ないし(一の9)のとおり。)、別紙債権目録(二)記載の一時金総額とうち各季の一時金につき支払期日の翌日たる夏季分は各該当年の六月一一日、冬季分は各該当年の一二月一一日からいずれも支払済みに至るまで年六分の割合による遅延損害金(その明細は別紙債権目録(二の1)ないし(二の18)のとおり。)、別紙債権目録(三)記載の諸手当金総額とこれに対する昭和六二年四月一日から支払済みに至るまで年六分の割合による遅延損害金、並びに昭和六二年四月一日以降本判決確定の日まで毎月二七日限り別紙債権目録(四)記載の金員とこれに対する支払期日の翌日から支払済みに至るまで年六分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度で理由があるから、これらを認容すべきである。しかし、控訴人に対し本判決確定の日の翌日からの賃金の支払を求める部分はこれを却下すべく、また、その余の請求は理由がないからこれを棄却すべきである。

そこで、本件控訴及び請求拡張部分を除く附帯控訴はいずれもこれを棄却することとするが、被控訴人らの拡張請求については、その大部分を認容することとなるところ、右は、原判決がその主文第三項以下で判決した金員支払に関する部分と極めて密接な一体的関係にあるので、右第三項以下については、むしろ原判決変更の形式を採用し、本判決主文第三項ないし第五項をもつて、被控訴人らの本件訴訟におけるすべての金員請求について上記判示に添う判決をなすこととし、従つて訴訟費用の負担についても民訴法九六条、九二条、九四条を適用し、なお仮執行の宣言につき同法一九六条を適用のうえ、主文のとおり判決する。

(裁判官 小谷卓男 海老澤美廣 笹本淳子)

債権目録(一)~(四)、別表一~六〈省略〉

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